Now Doing… ” 反応しない その2“ 【「読・即・行」その3】
前回の記事と内容が少々ダブるが、気にせずに書く。
「反応しない練習」という本を読んでからずっと反応しない練習をしている。
反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
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そのおかげか最近は少しは反応しないようになってきたような気がしないでもない。
もちろん全然まだまだ足りないレベルではあるが、練習する前よりは幾分ましだと思っている。
改めて言う話でもないが、僕はとりあえず最優先するべきは自分の健康、中でも精神面の健康が大事だと思っている。
肉体の健康ももちろん十分に注意しなければならないが、年齢的なこともあって自分ではままならないことも多い。
まあなかなか飲みすぎ食いすぎがやめられないという精神的な要素も大きいんですけどね。
それは心の問題に対しても同様だが、個人的にはなぜかまだ肉体の健康よりも小細工が効くような気がしてならない。
もっともこれは人によってはまったく逆かもしれない。
だが僕はこれでも読書家の端くれとして、書物(マンガも大いに含む)には人の心を救う力があると信じてやまないのである。
いや実はこれもやはり肉体の健康に対しても同様に言えることではある。
栄養学やダイエットや筋トレの本を読んで忠実に実行すれば、の話だが。
でもわかっていてもそれができない。
意志の力が弱いからだ。
では意志の力を強くする本を読もう。
あれ、なんだかループに突入してしまった……。
閑話休題。
この「反応しない練習」で語られているのは、原始仏教すなわちブッダその人の教えとして、どんなに頑張っても生きている以上苦しみからは逃れられない、だからその苦しみに反応しないようにしよう、ということです。
例えば人から嫌なことを言われたとしても反応しない。
ただそのまま受け止める。
もちろん実際はそんなことはそうそうできない。
反射的にムカッときたり落ち込んだり悲しくなったりする。
そんな時には、「あ、今自分は反応してしている!」と自覚すればいい。
それだけでなぜか心が僅かに軽くなる。
そしてだんだんと「反応しない自分」へ近づいて行くというのである。
これが今僕が練習していることの全てだ。
何か心を揺さぶられるようなことが起きた時、代表的な例というか、まあはっきり言ってしまえば仕事でパワハラ的な言動を受けたときが、まさに練習のチャンスである。
というか本番ですわ、それ。
そんな時僕は当然、恐れおののいたり、反感を覚えたり、こんな会社辞めてやると思ったり、さてはテメーアンチだなと決めつけたり、フッ俺がデスノート持ってなくてよかったな運のいいやつめ……などと思ったりするのです。
そんな時こそ、はっと我に返って「あ、僕、今、竹書房に対するポプ子みたいになってるぞい!と自覚するのだ。
すると不思議なことにそれだけでシンジ君に裸で押し倒されてもなんとも思わなかった頃の綾波レイさんのような気持ちになれるのである。
でもヒゲ親父の眼鏡にさわるのだけはご法度だ。
……さっきから例えがおかしい気がするが、反応しないでいただきたい。
とにかく心にマイナスの影響が発生したら「反応した」と自覚する練習をしているのだ。
プラスの時は反応してもいい気がするけど、究極的にはそこも反応しないレベルを目指せばいいのだろうか?このあたりはまだよくわからない。
それがうまくいけば、ほんの少しだが本当に心が軽くなるのを感じる。
失敗したとしても状況が悪くなるようなことはない。多分。
最近は少しだけだが、反応したと自覚する以前の状態、すなわち最初から反応しないレベルへの足がかりをほんのわずかだが見つけたような気になることもないこともない。
つまりまだまだ気のせいの段階である。
でもそのうちいきなりレベルアップして聖人君子みたいになっちゃうかもねとか一瞬思いましたが、僕は魔法を使うと服が脱げちゃう女の子のマンガとか読んでゲラゲラ笑っているという残念なおじさんなので、そっち方面に解脱する心配は全くないようです。
まあこんな感じで今後もなんとかメンタルを守っていきたいと思います。
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