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【一般書籍レビュー】「必笑小咄のテクニック」 米原万里

「パーティの席でナイスなジョークを一発決めてえ」とか「会社の宴会で小粋な小話でさり気なく主役の座を勝ち取りてえとか」まったく思わないと言うかパーティや宴会になんかそもそも出たくない僕ですが、いや飲み会に出たくないのは別の理由なんですが、たまにはこういう本を読んでちょっとだけ面白いおじさんを目指してみるのもいいかなとか思って読んでみました。

 

 

結論を先に書けば、この本を読んでも小粋なおもしろナイスミドルにはそう簡単になれそうもありませんが、場合によってはショートショートなどの短いお話を作るには役立つかも知れない、とか思いました。

 

 

 

では中身を紹介しつつ感想をば。

 

小話と詐欺は似ている

すべての傑作小咄のやり口が、 詐欺の手口にソックリ

もともと詐欺行為は、人間の欲や常識や権威にのっとった思考習慣の裏をかく犯罪だから、その手口は意表を突いているのは当たり前で、それを話しただけでそのまま小咄になる

 

なるほど、ブラックジョークのみならず小咄という文学(といっても悪くはないでしょう)の下地には「人を騙す」とか「裏切る」「利用する」などの詐欺的要素がある、と。

そしてそれらは(不謹慎ながら)全て面白さにつながってしまうという、ある種の人間の業の深さのようなものまで感じさせられます。

まさに「他人の不幸は蜜の味」なのでしょうか。やべーな人間!

 

 

小咄のオチ:総論

  • オチを途中で悟られないよう最大限配慮したほうがいい。オチは小咄の命なのだ
  • 目的は笑いを取ること。笑わせるためには、オチは思いがけないほどいい。予測される展開と実際の顚末との落差こそがオチなのだ。
  • だからオチを思いがけないものにするために費やす知力とエネルギーを惜しんではならない。
  • このミスリードによって生まれる点線と実線との落差がオチを可能にするわけで、オチそのものが必ずしも面白かったり可笑しかったりする必要はないのである

 

とにかくうまいことオチてれば小咄はとりあえず合格!と。

でもうまいこと落とすには途中の戦略が大事ですよ!と。

つまり小咄には無駄なところがないというか、とことん落ちに向かって全てを研ぎ澄ましていくというソリッドでミニマムな文学ということなのかもしれません。

 

 

物語の最も基本的な構造が、失われたものの回復、あるいはその代償だとしたら、小咄の基本的構造は、 ①② に典型的に表れたように、失われたものの回復(A) の失敗(B) である。あるいは、予定されていた回復の処方箋(A) が無効であることの言い渡し(B) である。

 

この「物語の基本構造」はよく他書では「基本は宝探し」とか「行きて帰りし物語」なんて言われることもあるようです。物語と言うか、エンタメ系のお話の基本構造ですかね。

そしてこうしたエンタメ系のお話のオチはハッピーエンドがとりあえず推奨されているわけですが、小咄においては逆にとにかく失敗させよ、ということ。

ただし言うまでもなく強烈なバッドエンドは後味が悪い。ジョークの範囲で収まるちょこっとニヤリとできるくらいのさじ加減が必要となるでしょう。やはりこのあたりもセンスが必要な模様。

 

 

 

小咄のオチ:各論

  • 平凡な台詞が非凡なオチに聞こえるように、前提条件のほうを非凡にしてしまうというわけだ。  要するに、オチとは前提部分によって聞き手や読み手の頭の中に生まれるだろう予想と、実際の結末とのあいだの落差によって生まれるものなのだ。
  • オチはゼロから創造するというよりも、見いだして演出するものなのである
  • 小咄の各構成要素の中から、順序を変えて最後に持ってくればオチになりそうな要素を見いだし、それをオチとして引き立てるために、他の構成要素の順序を変え、字句の修正、削除、加筆、登場人物の設定変更などを施す。
  • 情報提供の順序次第で、オチを演出し小咄を創ることができるということ。  
  • オチを演出するためには、つまり落とすためには、先に持ち上げなくてはならないのだ
  • 常識的な論理とは異なる論理の持ち主、人生の優先順位が異なる人々こそ、小咄においては大歓迎なのだ
  • この相手のお株を奪って反撃という形式こそ、二つの異なる論理を印象的に対峙させる方法であり、小咄創りにしばしば用いられる方法でもあるのである
  • 窮地に陥った人間の必死の姿は笑いを誘う。
  • 些末事を生死より上に置くという、この優先順位逆転の方法をとると、実に簡単に小咄が出来あがるのだ。

 

・・・などなどテクニックはたくさんあるようですが、これを全部踏まえて小咄を創作する、なんてのはやはり選ばれしもの(代表例はやっぱり星新一さんでしょうか。小咄じゃなくてショートショートですが)にのみできる手法という気がします。

我々素人ができるのはきっと、自分で眼にしたちょっとおもしろい出来事に対してぎりぎりいい感じまで話を盛ることぐらいでしょうか。

ああそういえば、ツイッターにはそんな人たくさんいますね(笑)

 

 

 

 

 

話す前からスベることを確信・・・

 

 

結局いい感じの小咄を作るには戦略とテクニックとセンスが必要、ということでしょうか。

それができない素人は前述したとおり体験談をそこそこ盛って話すか、どっかからパクってこい、と。いやそんなことをはこの本には書いてませんけど。

 

でも話をいい感じに盛るのもばれないようにパクってくるのも結局はセンスの問題だから、僕としては「小粋な小咄をサラリと披露できるおもしろおじさんになる」という野望は捨てたいと思いますというか最初からそんな野望はあんまり持ってなかったしそもそもパーティや宴会はガチでできる限り出たくないのでめでたしめでたし(オチの失敗例