といってもホームレスになろうというわけではない(念の為
要するに公園の中をまったり散歩しながら、まるで自分の部屋でやるようにやりたいことをやり、まるで事務所にいるときのようにやるべきことをやれたりしないのかな?という考察である。
この記事の初稿は2020年1月12日に実際に近所の公園を歩きながら考え、音声入力により執筆された。
まずは理想の「公園hacker」(仮称)の姿を考えてみる。
ただし後で理想と現実のギャップに悩まないように。そのギャップはゆっくり地道に埋めていけばいいのだから。
理想(というか妄想)。
僕は隙あらば自然の中や公園やご近所を歩いている。それは単なるウォーキングではない。歩きながら瞑想したり本を読んだり考えを巡らせたりそしてそれを文章にしたりするためである。たまに作詞作曲したり小説を書いたりもする。
瞑想と思考以外は全部スマホでできる。そしてそのすべての行動は人生を少しずつ良くするのに役立っている。
歩くことは体の健康に、瞑想は心の健康に、読書や思索は人生のクオリティを向上させることに、そして何かを書いたり作り出したりすることは僕に無上の喜びと《なんか知らんけど》経済的な恩恵を分け与えてくれている。
そして僕はこう呟くのだ。
「it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言・・・もとい、
公園の中が僕の部屋であり仕事場なんだ(Web系記者の取材を受けてる外人風に)」
さて今回のテーマは
歩き回りながら遊びとか仕事とかやれちゃったら最高じゃね?
ということをちょっとマジで考えてみようということであったが、今現在実際にあったかい格好して水筒とスマホ持って実際に公園の中をうろうろしながらこの原稿を音声入力で書いている。
つまり既に実現してしまっているのである!素晴らしい!!
今時スマホや自分の環境も含めて色々なものが良くなっているので、やろうと思えば大抵のことはやれてしまうのだ。やろうとしないから大抵のことはやれないのだ。
もちろんまだまだ完璧とは言えない。歩きながら作成したものや書いたものが経済的な利益に結びついていない。
だがちょっと待ってほしい。それは本当に必須事項だろうか。もちろんお金は欲しい。欲しいのだがそれを目的ににしてしまうとかえってモチベーションが下がるだけではなくせっかくの行動が陳腐化するような気がしてならないのだ。
従って作ったものを書いたものをあからさまにマネタイズ(嫌いな言葉だが他にいい言葉が見つけられない)を図るというようなことはしないようにしようと思う。
《なんか知らんけど》そうなったらラッキーくらいの気持ちで。
前述したとおり、すでにこうして歩き回って音声入力で文章を書いたりしているだけで心と体の健康と、いくばくかの自己向上感を得ているのだから。
ということで今後も公園の中を歩きながらいろいろ遊んでいこうと思う。
ただし不審者に見られないように要注意だヨ!
続く
追記:《何か知らんけど》という言葉をやけに強調しているが、これは最近の僕の重要キーワードの一つである。内容についてはそのうち書くでしょう。なんて予告しちゃったから書かない公算が大(笑)
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